感情労働とライティング

2022年11月23日

感情労働者が増えた。福祉関係、医療関係、サービス業などなど、他者をケアしたり、他者の話を聞いたりする仕事に就労する人は増えている。カウンセラーにしてもいろんな種類がある(ビジネス、スクール、前世......)。マッサージや、アロマテラピー、ヘアスタイリスト、などなど、どれも感情労働だ。自分の感情を抑制して他人に合わせる......ということを日常的にやっていれば、当然、押さえた自分の感情は圧縮されて強くなる。そのためだと思うけれど、クリエイティヴ・ライティング講座を受講する方たちは、比較的、感情労働者が多い。書くことで感情を外に出したいのだと思う。日々の忙しい生活の中で、自分の仕事を振り返る機会が持てない人は多い。意識せずともオートマチックに物事を進めていると、それに対して他者は無言の抵抗をしてくる。それは小さなトゲのような仕返しなのだけれど、連続するとけっこうダメージだ。相手が悪いと思い込みがちだけれど、自分の側にもさまざまな複合的マイナス要因があって、それを整理する暇もないから見ないふりをしていると、人間関係の複雑骨折が生じてトラブルに発展する。講座では、職業などは一切聞かない。そもそも本当の名前すら言わないことのほうが多い。特にリアルの講座では個人情報はなるべく伏せてもらう。こちらにも先入観が生まれてしまうからだ。作品を書き続けるうちに、おぼろげにその人のバックグラウンドが見えてくる。感情労働をしている人が多いなあと感じる。人間は生ものだから、人間を扱う仕事は生ものを毎日食べているような......そんなしんどさなんだよな。福祉や介護の現場にも、もっとライティングの手法が入ってもいいのかも?と思う。単なる報告書ではなく、ジャーナルに近い文章を許されると、ずいぶん風通しがよくなるだろう......と思う。学校や、医療現場でも同じじゃないかなあ。ともあれ、書くことは......掻くことにつながる。人間が皮膚を掻くのは痒いから......なんだけど、痒さというのは実は痛みの仲間なんだ。淡い痛みが痒さとして認識される。そこを、爪でひっ掻くのではなく、文字として書くこと。皮膚は傷つかず、言葉にして他者と共有されることで、体験の意味性が変化する。自分の体験で誰かが心を動かされたり、変容へのきっかけのひとつになったりすることを知ると、それはとても貴重なものに思えてくるし、なにより書きたい自分に気づくのは快感です。